よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

身内とランチ(押韻)

親戚全員を好きなわけないし、そもそもしらないひともいるし、戸籍制度や家族を中心とした経済集団をもとに構築されるシステム自体うなづけない立場だけれど(自身そこから遠ざかる未来しかみえないので)とはいえ袖振れ合うもどころかのご縁、親族とうまくやっていけるに越したことはないと思う。

血がなによりも濃いなんて1ミリも考えないが、不思議と「あ、似てる」とか「自分か!」みたいなのちょいちょいあるし。従妹や曾父母の兄弟姉妹くらいのちょっと飛んだ関係で。

てな枕で、血のつながらない姻族と血のつながった親族とごはんをたべたメモを残しておく。

 

10/8(土)

義妹とkabi。遅れてごめんも極まった約1か月オシでの誕生日のお祝いランチである。

ちょっと前までは「ちっちゃい子をもつひとを呼び立てて申し訳ない…」と思ったものだが、その子も中学1年生。昼間であれば母なしでも遊んだり習い事にでかけたりできる年齢。ときがたつのは早い…(あわせて大人チームにはそれぞれめっちゃガタが)

kabiには前から興味があった。できれば本領発揮の夜、アルコールペアリングで。とわかってはいても、都会で望みをかなえると1週間で残高がゼロになる仕組み。今回はランチのコースでドリンクはアラカルトに。

まずはシュワシュワで乾杯~。おいしい。お皿もすべてよかった。特に野菜(創作? なのかな? 発酵系。中年以降にもすんなり消化できて味の層が深いやつ。お客は若い娘さんが多かったけど、写真写真! なひとも皆無、ほどよくきゃっきゃうれしそうで、非常にいいヴァイブスが漂っていた。あれを維持することが運営の肝なのだろう)

ゆったり食べながら(けっこうなお会計になるけれど、丁寧な調理と3時間近く気持ちのいい空間にせっつかれずいられる対価と考えれば)衝撃だったりトホホだったりのニュースをきく。

みなさんご存じのように、労働も子育ても加齢も苦難の山の上り下り。昔も今も総量にはさほど変化なく、悩みどころが違うだけのような。

おおむね「振り返るな」「冷静になるな」つってタタタタタッと丸太橋から滑り落ちないよう向こう岸にわたっちゃうのが成功の秘訣っぽいが、

だがしかし。ひとつひとつを取り出してためすがめつみることに真のおかしみがあったりするもので、たまにそんな「おもしろポイント」をわかちあえるひとと会うことくらいしかこの世に浮かぶ瀬はないんじゃなかろかと考える私。

そうした相手が身内にいるのはありがたいことです(まとめ)。

 

10/10(月)

体育の日っていえよ素直に! な、昭和生まれの親族がちんまり集う。

たったひとりの同性の従妹(いとこは男が多い。っても父母の係累あわせて10に届かないんだけど)と会うのは父の葬儀以来。髪をさらに切り(私にいわれたくないか。彼女は常識の範囲内の美人ショートです)変わらず「モテそう」な雰囲気で近郊駅のホームに立っていた。

老親の近くに住む離別後ひとりぐらしの娘(中年)。塩梅が難しそうだが、この日はさばさばとホスト役に徹しており(出前館にすべて頼むなど。好き好き~。無理しないのがいちばん! もちろん手料理でバーンと迎えたいひとはそうすればよろし)従弟(彼女にしてみれば弟)の子たちの成長譚をきく。

従弟ならかろうじて興味もわくけれど、その子どもとなると関心もさほどないのだが(自分の姪以外、いとこたちの子の誰ひとり名前すら覚えられない体たらく)娘のほうが「絵ばかり描いてる引きこもり」からのムサビ合格、新進気鋭の女子大生に変身した話に「子どもの見立てって難しい…」と新鮮な感動を覚える。目の前のメンバーそっくりそのままひそひそ話をしていた数年前がウソのようだ。成果主義ってやつか。

くわえて、老人は老人で大変そうだけれど、中年も負けていない。心身ともにしんどい、まじコントロールがきかない、体がついていかない、100歳なんて死んでも生きたくない、てな話をだらだらして帰宅。

自分も若くない(加速する短気&その世界に詳しくも愛もない)のに親のスマホの整備とか地味につらいよね…わかるわかる…。