よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

ここも港区

4/14(日)

芥川賞候補作家にして愛聴するポッドキャストの語り手(超絶かわいい子犬「ちくわ」の飼い主)岸政彦先生が「東京でいちばん好きな場所」という「竹芝埠頭」へいってきた。同じく「20分休み」リスナーTさんの発案で。ナイスアイディア。

いったん話は飛ぶが、先日、人間関係で少々悩んでいた折(深く悩むことも多々あるがこのときはふわっとレベル)私のごく親しいひとたちは粘着性が薄くてありがたいワ~と感じいったのだ。これまたよくきくポッドキャスト(略称あるのかしら文字数…)の話し手ワッコさんが友人との距離のとりかたで疲れ「雨宮まみさんは<いまから死ぬ、といったら何時でもかけつけてくれるのが親友>とかいていたけれど、私にはその発想が無理」と話すのをきき、しみじみ同意したのがきっかけと思う。

若いころ、泣きながら電話をかけてくる(お題はほぼ恋愛のこじれ)友人がいた。好きだし幸せを祈っていたので真摯に応答をと努めるも、わりと早めに力尽きた。そんな自分を責めつつ、結局ひとは他人の話をそこまで深くきかないし、提案が正しくても効を奏すると限らないのもわかっていた。そして、そういうタイプとはいずれ疎遠になった。

てな具合で私には友だちが非常に少ないのだけれども、「減り続けてゼロ」は悲しいがガンガン増やしたいともあまり思わない。気の合いそうなひとと、え、え、あれも?? つってぐっと仲良しになるときの高揚感は大歓迎だけど(懐かしくまぶしく遠い「あの感じ」)「浸食」のニュアンスは一切不要。

(蛇足ですが、感極まって泣いちゃうとかいますぐしらせたくてライン、などは全く別の話よ。そっちは喜んで~)

前書きが長くなったのは、竹芝埠頭に出かけたおしゃべりの友Tさんがまさに(私からすると)「一緒にいて楽しく、尊敬でき、可能な限り長く交流し続けたいけれど、維持するにあたって生活をなげうったりしないし相手にそれを望まないひと」だからで。

ワッコさんのくだりと重なる時分に読んだ、津村記久子さんの『サラと気難しい人間たち』において、ある種のひとたちがAIではなく人間を相談相手に据え、どんな内容にも返答を要求し、気がそれたら糾弾できる関係を希望する。そのターゲットはもちろん立ち直れないほど疲弊する…といった描写があり、重い気分に拍車がかかったりもし。

日常でもみかけるその類のひと。津村さんはさすが巧みな説明をされていて「減る」人間にこそ時間を割かせたいのだと。ロボットなら飽かず耳を傾けてくれ最適解をだすとわかっていても、それでは「足らない」。相談の回答より「相手がなにかを捧げる手ごたえ」がほしい。もっといえば「自分の用事で削られるさまをみたい」と。

おそろしい。私は誰にもそうしたくない。そういう目的のため使われたくない。面倒くさいのと怖いのと余計なことに翻弄されたくないのと…理由はいくらでも挙げられる。とにかく全力でその手の欲望から距離をおきたい。

ええもちろん、異様な忌避感は自分がそこから逃げられない運命をしっているがゆえです。何度も経験したし、この先もおそらく巻き込まれるだろう。いやでも(自然な親切や気遣いから発生する親密な行動は言わずもがな別種)削られ傷つく姿をさらすことで誰かを喜ばせる事態に陥る予感は確信でもある。幸い真っ最中ではございませんが。

とかいいつつ一切ふりきって180度転換し、めちゃくちゃ明るいほうを目指せる精神の持ち主でもない私は、この場所を東京いちお気に入りとおっしゃる岸先生の悲しみベースのマインドに共感し「みつける才能」に感服しながら、水面のきらきら、行き交う大小の船、青空を突っ切る飛行機と舞うカモメなどに歓声をあげ、友だちとカレーを食べて存分におしゃべりをし、山手線であっさり帰宅できるひとときの幸運を寿ぐ。

ささやかなテーマの会話、搾取しない関係、なにもかもがつらくない時間を慈しむ。

ものすご~くせせこましいのだ。しんどくなく1日がすぎれば、それ以上望まない(余談ですが「すごい」と自分はふだん連発してしまうけれど、帯文では却下されるため要注意。すごいとかすばらしいは曖昧だからダメ。おっしゃるとおりだが、それらで済ませがちな人間の発言にだって心はこもってんだよな~)。幸せな週末だったとふりかえられる。

作家たちの声を聴け

3/1(金)

村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会』へ。

学生無料分瞬殺は想定内として、寄付金必須の一般参加券も数日で売り切れ(寄付最低受付額が15000円、法人は30万円以上。の設定にはじゃっかん引いたけれど。早稲田にご縁があって謝意を強くお持ちの御仁なら抵抗ないのかもしれんが、春樹ファンで早大OBOGのブッククラブメンバーもそろって「たか!」ゆうてたで…。法人枠は30万円で2名ご招待とかいう文字列の強さも)、この夜の大隈講堂はことさらにぎわっていた。

1階10列目中央部。初生春樹の印象は「おじいちゃんだけど姿勢よくてかっこいい。体づくりは大事ね」。鳥肌立つとか泣くなどとくになし。ミエコはいっそう美しく、深いスリットの柄ドレスはステラ・マッカートニー(ご本人のインスタより)。華麗な足さばき、うつむく角度の完璧さ、つやつやボブをゆらす笑顔、チャーミングな発言、セルフプロデュース能力の高さを叩かれがちな彼女だが、ここまで仕上げられりゃ褒めしかなかろう(もちろん私はいつものごとくキレー! つって見入るのみ)。

「大作家ふたりが、本人以外しらないピチピチの書下ろし短編を読み下ろす!」ってんでしつこく録音録画禁止令がくりかえされたのち、会は始まり、ミエコが「あお×あお」を朗読。

一切詰まらず、一語もかまない。アナウンサーや俳優でもなかなかできない芸当をやってのけたうえ、ときに顔をあげ会場に目をやりながらの「読み」。かっけえ~。黙読より言葉がひとつひとつ立って届くことに驚く。

春樹の一発目はなんと「新作前編」だった。旧(既刊)新一編ずつの予定が、思いのほか書下ろしが長くなってしまったため前後編わけて朗読するという。にくい。うまい。ファンはうれしい。

彼の朗読は生っぽかった。咳き込んで中断したり、ページをめくる際トーンダウンしたり。そこがまたいいのだけれど、しょっぱなから若い女性の容貌こきおろし」描写。出た! ハルキスタイル。80年代から続くお家芸だが、ソファで優美に脚を組むミエコの胸中やいかに…(自身は即!「げえ~」反応)

ほどなく<見た目をひどい言葉でジャッジするアウトさの「真意」>は明かされるのだけれど、それにしても。後編をきいたあともなんだか釈然としなかった私。

詳細をネットに載せるべからず、という運営の意思(=作家の希望)に則ってこれ以上かきませんが、結局「顔」の獲得は「若い女」の行動の結果でしょ? 投げた側の責任は?「端正な顔立ちの謎めいた男」(←十八番)の愉快犯行為にはお咎めなし?

とはいえ。おもしろさに隙はなく、編集や校正を経てさらにスマートな作品に磨き上げられる原石がこの完成度ってのは。ぎりぎりまでめっちゃ推敲したんだろうな~プロだもんな~プライド高そうだもんな~。

で。ふたつ目の朗読前に、小澤征悦さんの『ヘヴン』『風の歌を聴け』の朗読と、村治佳織さんのギター演奏が挟まれたのだ。

「ミッシェル」の、場との異常な親和性。バカの感想にて恐縮だが、木造アパートのベランダでぴったりしたニット着てセンターパーツのロングヘアゆらしてこんな風に弾けたら。昭和か。学生運動か。いやまさにそういうアレですから。

小澤さん(遠目にはラーメンズ片桐似)の「鼠」は、元気よすぎて逆におもしろかった。そんだけ声張れる明るい青年なら羊に狙われないだろ…!

とかなんとかの茶化しも感動の一部、とてもとても楽しかった。優れたひとの優れた表現は心と身体によい。春樹の小澤征爾氏への思いも、飾らないエピソードから存分に伝わってあたたかな笑いを呼んだ。「父の友人の小説を、本人の前で朗読」というかなりキてる状況も、ミエコが何度も口にした「親密な会」では至極自然に成立しており。

閑話休題。私にとっての真打、ミエコの新作読み下ろしよ。

これがまあ〜すばらしくて! 最近の彼女のテーマど真ん中、「不安定な暮らしを続ける高齢女性の疲弊と孤独と絶望と連帯」を最新の筆でぎゅぎゅぎゅっと詰めて書き上げた胸アツ作品。

「私」が一晩中ノックし、されているようだった。泣いているのに。泣いていたのに。壁を挟んで。

大大大好き!  川上さんは本体もだけれど、まじで作品が好き。あの小説をかいたご本人が、見渡す誰より美しい「彼女」ですよ! 極上の朗読をする壇上の女性なんですよ! と、嫉妬だか暇だかしらねえが彼女に粘着し続けるクソどもにいってやりたくなったね。

ミエコのあらわれるところには、毎度お化粧やダイエットや流行を愛する女子が少なからず集まるのだけれど、この夜も元文学青年や批評家気質っぽい壮年男性に混じって、めっちゃまつ毛増やした顔つるつるの若い娘さんを何人もみかけ、そこも愉快だった。

誰もがそれぞれの地獄を生きている。ときどき救済の夜に出会えたりもする。

写真はイメージ、かもしれません

2/25(日)

2月最後の三連休最終日。日本ペンクラブ主催のシンポジウム「男らしさの彼岸」に参加してきた。

鼎談者は、桃山商事の清田隆之さん、作家の島田雅彦さん、男性学研究者の田中俊之さん。清田さん目当て(よもやまま話愛聴者)だったが、お三方とも著作をいくつか読み、悪い感情は持っていない状態である。

寡聞にして「日本ペンクラブ」の現況をしらなかったけれど(名称、意義、数年前初の女性会長として桐野夏生氏が就任、などはさすがに存じ上げておりましたが)いやはやなかなか「物議を醸している」団体なのね(だろうな…といまは)。

鼎談は激しくおもしろく、もっともっとききたかった。

格式高いアカデミックな雰囲気に負けず(根性あるな~と正直思った)のっけから清田さんが(「司会お上手ねホホホ」つって大御所女性に褒められてたのひそかにウケたけど)大スクリーンに「クソLINE」のスクショをアップ。

クソLINEとは。夜11時半以降「飲みませんか~(笑)」「うちいってもいいかなテヘ」みたいなことを絵文字つきで微妙~に冷たくできない男性(先輩の友人、上司の知人、取引先、なりゆきで紹介された男性など)から女性に届くあれ。「おつかれさまです。遅いんでまた!」「いやもうお風呂に入って寝ます(笑)」とか一応やさしく返すも引き下がらず「お風呂! 一緒に入りたいな~」「廊下でも寝れるで★」など目が腐るメッセージを連投されるやつ。

溜まったドラマをみようかな。読みかけの本もあった。いや、ビール飲んでとっとと寝るか! 的なウキウキは雲散霧消。失礼ないよう、しかし希望を持たせぬよう、言葉を選び、短い返事を送るむなしさ。モヤモヤ。虚無。

不毛なケアに私的時間を費やす苛立ちは当然として、嫌悪の根源は「なめられ」だ。興味・尊敬を1ミリも抱けない人間に安く見積もられ、ニヤニヤされる気持ち悪さ。対話の成立は望めないから笑ってかわすが、傷は思ったより深い。

男は女(弱者とみなした人間)に横柄な態度をとることができ、接待されるべきで(でなきゃキレてもよい)強い者は弱者の心情をおしはかる必要はなく、人権侵害も笑顔でゆるしてもらえる(はず)という謎の思い込み。

見事にかみあってないやりとりをみても、加害者(予備軍含)は「実害ないでしょ、かわいいもんじゃん」「最近ピリピリしててやだね~」くらいの反応なのではと想像するが、そこ! そこを! ニュアンス丸ごと、島田雅彦御大は秒で理解された。

「これはコミュニケーションではないよね」「きわめて維新的な…声が大きくてケンカの強いヤツが上位、それにくっついてれば勝てるってチンピラの思考」「近頃なら松本人志が典型だけど」…ぎゃ~2億点じゃないですか!

「有害な男性性」の話から、清田さんがお二人に「<弱い>立場の男性が、力をもつ男性を熱狂的に支持するのはなぜなんでしょう」とたずねると「生涯<競争>だからです。成績がいい、足が速い、モテる、おもしろい、勝てば官軍。成人以降はとくに社会的地位が重要視されて、現実はどうあれ強い誰かと同類と思うことでプライドを保つ。女性は<下>の生き物、意思と能力をもち同等の収入をえるなど我慢ならない。きつくて古いシステムは既得権益バリバリの老人が作ったもので、マッチョイズムやネオリベ的なところから弱者男性がはじかれてるのは少し考えればわかるんだけど、疑ったら敗者決定、修正もしたくない」「それを温存し煽るのが自民党や維新。短絡的かつ反知性に傾いてくれりゃ大歓迎ですよね」などなど。

島田氏は鈴木涼美さんや雨宮処凛さんと親しく、ご自身の発言や行動を日々省みられているそうで。年齢じゃない(松本世代)、やはり知性がものを…

こうした頭のよさ(&発言できる立場)こそ「きわめて維新的な」ひとたちが蛇蝎のごとく嫌い、敵視するものなのだろうが。危険分子だもんな。どっちがだよ。

非モテ男性の恨みがトップの男にいかず一般女性に向けられる」「振られた腹いせに相手を刺す」「ホームで無関係の女性にぶつかる」などの不可解、迷惑、恐ろしい事象にもばっちり応用できる読み解きに瞳孔が開く私だった。

「90年代生まれた<男らしさ>への疑問にようやく輪郭ができて、周知に至るのはさらに30年後かもしれない。けれど生きている間は問題を指摘し続けたい。多くのひとと話したい。同じ会社に長く勤めて結婚し子どもを育て出世することに絶対的な価値はなく、幸せとは限らない。型にもう無理がある」「弱さや無力をさらけ出して酒なしでおしゃべりができる仲って心地いいですよ、会社の人事情報とか興味ないし。若い世代ではすでに見限って自分の快楽へ舵をとるひとも多い。最上階のじいさんをうらやましいかってもねえ…」などの言葉が染みる。

(「脊髄反射」「論破」「自己責任」「フェミ叩き」などを毛嫌いしてたの、やつらのセンスと頭の悪さ以前に、ただ筋が通ってただけなのかも)

気づけるひとは変化に対応し新しい出会いやコミュニティに恵まれ、学んで楽しく、気づけないひとは権力にあぐらかいて害悪まき散らす状況を手放さない…への嘆きも大きいが、まずは「持たざる」一般男性に己の弱さを認め、同期や同僚やパパ友ではない「誰か」と新しい関係を築いてほしい。<男らしさ><男たるもの>の呪いから離れれば自分にもひとにもやさしい世界が待っている、とのこと。

そうでしょうとも。自力でがんばっていただきたい。

質疑応答時も「パワハラモラハラ上司の、育ちや環境を慮る義務はあなたには一切ない(録音録画スクショ一択!)」てな名言が響いたが、社会が女性に気配りや愛嬌みたいな「下ごしらえ」を期待しすぎる様子にも前からむかついていたんだ私は。若い男性のなかには「調整」を女性だけに押しつけるのを心苦しく感じているひとも多い。

彼岸。まだまだ遠くても、目を凝らして背伸びすればみえる向こう岸。2024年をほうほうのていで生きるすべてのひとのために、たどり着ける日が早くくるといいなと思う。

なくしてばかりでも

1/14(日)

キョン近田春夫小泉今日子)朝活イベント第二弾! 新春スペシャル @笹塚ボウル へいってきた。

ボウリング場には悪い思い出しかない私(激ヘタ)、極力さけて生きていたためガッコーンみたいな音をきくのも30年ぶりくらいである。

着いた時点でビルの下まで大行列ができており、受付までの長い長い時間寒さと孤独にふるえたが、前回同様、紳士淑女ぞろいで待たされても待たされても誰一人グダグダいわない分別ついた大人ぶり。あらためて感心しきりだ。

やっと入場できたかと思えば主催者おふたりのあいさつも終盤、なによりショックだったのは、お目当てのフリマ「ブティックコイズミ」に石ころひとつ残っていなかったこと。絵にかいたような瞬殺。ひどい。

予約席で優雅にDJと飲み食いを楽しみ、興が乗れば前方でイエーイ、的な好みのマイペース行動は望めず(ボウリング場はそんな人間のために設計されていませんので)出鼻をくじかれ、やる気ゼロ、とりあえず場所を確保してなにか飲みつつ今後を考えるか…時間は腐るほどあるし…と椅子キープのちお手洗いへ向かったら。

そこで、そこで! 大変喜ばしいハプニングが待っていたのだ!!

苦手な場にも「好き」を原動力に出かけてみるもんだねえ~(手のひら返し)。緻密に計画し、努力を積み重ねた結果、とかまったくじゃない単なる奇跡。って匂わせですみませんけれども、飛び上がるような出来事に遭遇したんですッ!

早起きは三文の得(ゲンキン)。にくわえて、なにかを続け、どんな物事であれ真剣に心を傾けていれば、とんでもない贈り物が届く日もあると。たとえノーリターンでも好きな気持ち自体に救われる機会は多いしさ。

なにはともあれ、やったゼ大満足。もはや余生。残り時間もボウリングには関わらず(←自己都合)DJやマルシェチェックに勤しみ無理せず早めに帰ろ、と気分もすっきり切り替わった。

年をまたいだキョン活成果か、ひとの顔を覚えるのが異常に苦手な自分にも印象深かった、コイズミファンの娘さん(すげえ根性と愛情で、どのイベントでも行列の1番2番にグッズ着用で陣取っている。20歳すぎ。「あまちゃん」すら小学生だったろうに)が私を認識してくれていたようで、何度かおしゃべりができてそこも楽しかった。最近のヤングはみんないい子だけど(おばちゃん)ご多分に漏れず、礼儀を失せず人懐こい。少子化時代ゆえ丁寧に育てられたからなのかしら。いちいち苛烈な競争を経ないで済んできたのもきっと…(ベビーブーマーズベビーのぼやき)

そんなこんなでボウリング大会なのに多くの時間を離れた自席で読書する不思議なひとでしたが、本人的には高得点で合格! 思い残すことないよき半日(朝)であった。

かかった、思い出野郎Aチームの「ダンスに間に合う」(何度も何度も「ダンスには間に合う」と歌っているからそれがタイトルかと思いこんでいたが、「は」はトルなのね。「に」にすることで、ちょっと不思議で、広く、主語もでかくなって、しゃれてんな~といまさら)が響きまくり、いきなりスイッチが入って前後不覚になるほどぶちあがったのも記しておきたい。

こんなにいい曲だったっけかと。ほかに突如踊りだすひとが多数あらわれたところからも、この歌には「2024年初頭の市民」を刺すコードが宿っていることを確信した。みなさまにもあらためてきいてみてほしい。間に合うか合わないかでいうと、けっこうもう難しい感じだけども。

大吉~(棒)

2024年は初日から大変なことが起きた。10年以上「もう終わりだ」と思い続け、なにかあるたび「とどめ…」とさらにどんよりしてきたけれども、いよいよ。言霊問題を持ち出されようが、もはや空元気(という名のポジティブシンキング、いいこと探し)で支えられる事態ではない。胸も痛むが明日は我が身。しってたけど。見捨てられて死ぬんだよ。税金も年金も払い続けてんのに。

1日は暗い情報の波状攻撃にやられ、身内の集まりのあと19時にはぐったりベッドで本を読み(主に「小説ユーミン」。やすらげるイイ塩梅だった。功成り名遂げた人物の一代記の朝ドラ感ときたら。まあそういうひとをヒロインに選んでつくられるわけだが)、2日は母(元日生まれ)のお祝いにウェスティンホテルの「龍天門」で中華をごちそうし(飲茶うま~)4日から出勤。

まじめか。まじめだ。まじめは美徳だが。あの火災から乗客乗員全員脱出なんて、市井のひとびとの日頃のなまけない心と行動の結晶としかいいようがない。一般人はよくやっている。問答無用でカスカスになるまで吸い取られ、寄付までしちゃう。その誠実さをもってして、なぜ選挙へいかないのか、陰謀論にハマるのか、など考えると不思議でならないけれど、そういう姿勢をかっこいいと信じる人間がいるのだ。世の中には「自分が到底素敵と思えないものをクールだと認識する層」が確実に存在する。しかも大量に。

みたいな哀しみから、思えば自分の「中二」的なものは始まったのではなかったか。

桃山商事の専務・森田氏がポッドキャスト(おもしろい)で「学校のイヤなところはいっぱいあった。女子のブルマとか水着はもちろんとんでもないんだけど、男子だから上半身裸ってノリも自分にはつらくて。騎馬戦とかで脱ぐのなんなんだろ」と話すのをきいて思い出した。

あれは一部のみる側にも厳しかった。「人気者の上半身裸」が「雄姿」として女子にキャーキャーいわれるさま。きもい。理解できない。ふんどしで冬の海に入るのも、崖の上から丸太を落として命がけで身体を使って運んでいくやつも、同じ匂いがした。なんだいったい、と心底思えど、世間では「日本の美」「伝統」「絶やすな」「漢」みたいな扱いで、学校では上半身裸の騎馬戦や和太鼓演奏に「かっこいい~」つって泣くクラスメイトまでいて。

「生きづらさ」なんて使い勝手のよい言葉がなかった時代、割り切れない気持ちを共有できる場も見当たらず不安になった。あのとき、セクシュアルマイノリティのひとたちはどれほどつらかったろう。居心地悪いどころではない。

乱暴だったな、と思う。明らかな暴力だった。生涯に傷を残す。流れが変わってきてほんとうによかった。

でも、やさしく、ボーダーレスに、すべてのひとに等しい人権を、というのはまったく実現されていない。

むしろ攻撃は四方八方から。黙っていても声を上げても、とことん痛めつけられ、誰も責任をとらず、燃えさかったあと残るのは見向きもされない焼け野原、な展開は激化・増加している。

ひとりの弱者(あるいは勇者)に群がって(桁が違う。何万もだ)大喜びでたたきのめす輩をみて「この、口汚くののしっている(論拠は稚拙)誰かがそのへんを野放しで生き、隣に住むかも、駅でうしろに並ぶかもしれないの、まじ怖え」とぞっとする。し続けている。新春から恰好の餌食をみつけ、屋内ではりきって増殖するSTども。

災害はやってくるし、人災は減らない。立ち向かう力も尽きそう。

年初早々、まともなひとはみな陰鬱なはずだ(元気いっぱいなかたがいらしたとて、当ブログは読まんだろうし)。おつかれさまです…なにするのもだるいよね…

そんななか、おみくじは「大吉」だった。変なひとの変なポスターを掲示していない神社に詣でてきたところ。大吉…! これるもんならきてみろっつう感じである。

豚で勝つ!(勝たなくてもいい)

今年もとんきでおしゃべり会を納めた。揚げ物を摂取できる胃腸&会えるメンタルと足腰で年の瀬を迎えられ、本当によかった。

ひと月に1度のおしゃべり会がどれだけ支えとなり、自身の調整やふりかえりに役立っているかはかりしれない。

おしゃべりは軽視されがちだけれど(でも近年注目されてるよね。コスパだタイマだを問わないコミュニケーション力と他者との関係性ってあるのとないのでは大違いだもの。「男同士で他愛ないおしゃべりをしたいんだけど」っていつか若い男子に相談されたし。このあとお茶どう? って誘っても「オマエとしゃべってどないすんねん(笑)」とかいわれると二の句が継げないって。まあそうだろう。男性のちょっとしたお茶をできるか問題、個人差あるし、私にはどうすることもできないしする気もないけれど、この先、マッチョイズムや飲酒率が激減してゆくだろう未来に吹けば飛ぶようなおしゃべりスキルって命綱だと思う)

ともあれ、我々の話。

この日は出オチで、初の(20年ぶりとからしい)Tさんのパーマネント姿をみられる! があった。ふと思いついたそう。私たちは同じ美容師さんに髪を切ってもらっていて、卓越した技術と女神のやさしさをもつ担当さんに「失敗」はありえないが「パーマかけてください。おまかせします!」で、さてどんな感じになるか興味津々。

写真はその日のうちにみせてもらい「キャー、イイ!」だったんだけど、実物はさらに。さすがさすが。添付で感じたとおり、Tさんのよいところがより引きだされている。印象が丸くひょうひょうとしてて、でもアーティスティックで実はなかなかみかけないルックの彼女。私もその前日訪れ(年末年始きれいにしておきたくて~)担当さんから「Tさんのパーマ、めっちゃかわいいですよ!」ときいたばかり。創造主にそういわしめる会心の出来。

なにしろ当人が毎日ルンルンというのだ。顧客をルンルンにさせるお仕事、すばらしい。今年はとくにあちこちで考えたけれど、なにごとも続けるのも辞めるのもどっちにもよさがある。担当さんの場合は「続けて、輝かしい業績を上げておられる」から完璧に尊く、一客として末長く続けていただきたいけれど、もちろんご本人の気持ちや事情でどうなさってもいい。

この日の話題は当然「今年のふりかえり」で、Tさんは「着地の1年」だったそう。私はなにかな~、目をみはる進歩も改革もなかったが「他人と比べない」「いたずらに自分を下げない」のは少しできるようになったかも(Tさんトピックなら「街角ピアノ」デビューも!)。

あとは、バカみたいだけど「キョンキョン(限定)運の強さ」。すごかった。思い返しても本人すらいまだ信じられない「打てばホームラン」度。ふだんは球にかすりもしないひとが。いや〜楽しかったな〜。

なんとなく「2023年で一区切り」、来年はなんかこう、次の一歩を的なあれかもしれない。

といいつつ、踏み出しても出さなくてももはや。あまり高望みせず、やりたいことや達成したいものが出現したらそれなりにがんばりますよ程度だ。

ゆるゆる甘々だけど、自分のことばかり考えすぎるのもよくないと思ったんだよね。これも今年。

おばちゃんはおせっかいなのよ

12/10(日)

何十年ぶりかわからないo-eastへ(前はわりと通るけど。もうカウリスマキやってんだね)。

小泉今日子kkcp追加公演のチケットがとれたからだ。90年代楽曲中心のクラブツアー、東京はお台場だったのだが、プレから当たらなくて当たらなくて。「今年のキョンキョン運は使い果たしたのかも。あそこまでいってスタンディングもつらいしどうせみえないし」とすんなりあきらめていたところ、追加公演の告知が。渋谷だって。やだエントリーエントリー★ ったら一発でゲット。運命とは…。

整理番号はとくによくもなく(最前じゃなきゃチビには同じ。気にしないワ)真ん中より前かな~くらい。実際最初の鉄柵より何列か前の入場で、棒必要かしら長丁場…と悩むも結局「満員電車で3時間」を選んだ私。疲れた。疲れたよ~。疲れましたけども。

彼女が90年代お茶の間とカルチャー界のトップアイドルだったことを2023年にも説得力しかないかたちでつきつけるかっちょいい姿を拝めて、感謝感謝で眠りにつけた。

心に残った曲のメモ。

「Fade out」 90年代のウラ小泉さん代表曲。若人にはこのころの、ショートボブ姿のキョンキョンをぜひ検索してほしい。信じられないほどかわいくキレッキレで「遊んでんだろうな~モテんだろうな~」ってアイドルが平成初頭にはいたの(昔話)。音は新しく、歌詞は歌謡。なので古びない。それを再びウルフぽいマッシュの小泉さんで味わえて大満足なり。

「東京ディスコナイト」 スクーターズさまのカバー。キー、曲調、ハコ、すべてどハマり。イエーイ!! みたいなことがついぞない時代にありがたさ増し増し。ブーツ履いて頭おかしい勢いで踊りたかったが、立錐の余地なし&スニーカーでも足パンパン。気持ちだけネ。

CDJ」 誰がきいても小西さんメイド。こういう曲を歌って許されるのは、昔も今も、野宮さん、カヒミキョンキョンだけだ。歌がすっごくうまくなくても(でも下手じゃないよね。出てるしね)筒美さんや大瀧さんに続き小西さんにも愛されまくるって、やはりこれは「俳優」の才能が備わってたとしか。野宮さんやカヒミしかり、「ドール」は中身のないひとにはできない。二度と私の前にあらわれないで。といい放つかわいこちゃんis最強。

「女性上位万歳」 オノヨーコの名曲カバー。いまも響く=変わってない。ムカつくわね…。歓声に「ありがと~。私はオノヨーコじゃないけど(笑)」ってこたえていたのがめっちゃチャーミングで「らし」かった。

「LOVE SHELTER」 彼女が政治に「おかしくない?」と素直な声をあげるのは、いまに始まったことではない。作詞は小泉さん本人、地球がもうだめかもってときに「えらいひと、自分たちだけ助かればいいの?」と歌うアイドルのまともさを当時はあまり考えなかったけれど、2023年に合いすぎて痛烈。芸能人の政治発言、サヨク~、じゃなくて社会の一員の主権者(しかも多額納税者)が疑問に思ったことを表明したり、ちょっとやなんですけど~って行動するのは、なにひとつおかしくない。至ってふつう。好きなひとがずっと冷静でよかった。

「あなたに会えてよかった」 国民的ヒット、オモテの小泉さん代表曲である。風邪で高音がきついのをアイドルらしくサビを客にマイク向け合唱させて、大団円。見事「あなたに会えてよかった」色に染まる現場。さすが。

といったわけで。身体は疲れたけれど(若いときは気づかなかったが、行列回収のためかライブハウスやクラブって階段がめたくそ多くて迷宮なのね。上って下りて曲がった先、みたいな。開演前に削られている)とてもよいライブだった。が。

じゃっかん気になったのは、ライブやコンサートにいきつけてない(あるいはアイドルのだけとか。「生田絵梨花と層が違うな~」つってた還暦すぎの男性もおられたので)ひとたちの、ミドルテンポの曲でのタン、タ、タンっつう例の拍手。勘弁してくれと平成から願ってんだけど死滅してないのね。む~。楽しむ権利はみな平等、とするしかないか。優しい心、優しい心(自戒&深呼吸)。

でですよ。ここまで、全体に気持ちよくすごしていた私だったのだが、退場時、後方の鉄柵のあたりにいたおじさん(まあ~おじさんが多かった。ご健勝をお慶び、高度成長期の日本を支えてくださって…つか、あんたらがもう少し次世代のことを…と食いつきたくなるお年頃の、HAGE、出腹、銀縁眼鏡の方々な)が、お仲間と遭遇したらしく「お~いたのか~」「俺、番号よくてかなり前だったんだよ。でもここ段差あるからわりとみえるね」などと盛り上がっており、聞きたくなかった「そう、ちょうど、胸のふくらみがよくわかって」とかいうワードが耳元に。おえ~!!

いくつになっても「そういう視線」を覚悟しなければならない「アイドル業」。現役の子たち(さらに地下の子たち)はさぞかし…と、ひどくくらって消耗させられた。2秒前後してればきかずに済んだものを私のバカバカ。

ってもまあ、ふりかえればほぼほぼ楽しく、とにかく「立ち続けて」無事帰宅できたので大合格!。

「長生きしてね」「俺より先に逝くな」などとかかれたウチワに深くうなづき「がんばってみましょう!!」とレスする偉人、それが小泉今日子さんで、マイ永遠のアイドルです!(お前も充分キマっとるわ)