よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

新しいひとたちのこと

仕事が忙しい。というのがGW明けの感想で、絶賛継続中なのだけれども、第19期ブッククラブの打ち上げ話をしたい。

2か月前に予約をいれた美容院(担当さんがちょう売れっ子なんで)の夜に、件の会合が数日前滑り込んできたかたち。私は疲れやすく本来そういう予定の組み方はしないのだが、どちらも捨てられず参加。くわえてスーパー近視用眼鏡を作り直すうまくいかなさ、デザインの選べなさ、検査の面倒さ、出来の悪さ、などが重なり、その日はヨボヨボのヨレヨレ。で、遅刻。

メンバーに若者が多いのはしっていたけれど、あらためて「来月26歳です」「僕は27になります」みたいな「私語」のまばゆさにくらくらした。昼間、美容師さんが「若い子ってただただかわいくてうれしくなっちゃうんですよね」「そう! 新卒の子の近くに座ると(フリーアドレスなので時の運)なかから発光してる。キモいだろうしハラスメントだから本人にはいわないけど、同世代と離れた場所で<かわいい。肌ぴかぴか~><毛穴がない! ってああいうことなのね><全体に弾力が…><すばらしい>ってこっそり盛り上がったり。若さは力!」「もらえますよね~」などなど話したばかりでもあったが、ツルピカだけでなくブッククラブの若者は「新しいひと」なのだ。「(うちらと)つながってない」みたいな。生んでない者が恐縮ですけど「子ども世代」とかいう感覚とは違う。

たとえば中年の私は、現政権のおじいちゃんたちのいうことなすこと「仕事(代議政治自体)をわかっとらん。辞めろ。世間も現実も人々の望みもみえていない(あるいは「みない」)。わざわざおぞましい世に変え、市民をなめ、少子化や若者のあれこれ離れを後押しする国賊…」つって「すぎた時代の、利権にすがる亡霊たち」とさめた目を通り越し憎んでみているわけだけれど、若者はやつらからあらゆる意味で遠い(と思わされている)せいか「違う世界」を生きているもよう。主権者としては微妙だが、政治に怒りや希望や期待を「ほぼ持ってない」。

やさしく賢くバランスがとれていてフラット。差別意識が少なく、他人を蔑ろにしない。性別や年齢で態度を変えない(=同世代の同性にも敬意と距離を保っている)(俺が黒といったら黒だ! みたいなおっさんに爪の垢を…)。

あまりの差に老害化をおそれ、当初「なるべくおとなしくしよう。私のいうことなんて興味なかろうし」と心していたのも危惧にすぎなかった。誰をも等しく「1」とカウントしていて、中年でも20代女子でも同意も反論も同じ温度で受け止める。ありがたみ…(日頃の雑な扱いがしのばれる)。

当夜、新しいひとたちは「個性豊かな面々で、みなさん尊敬していますし毎回感動がありました」「出会ったかたたちを、失礼かもしれませんが全員<友だち>と思い続けます」など心くすぐるワードを連発、オールド組男性の「なんかね、若いひとから学ぶことが多くて驚いた。年取っただけで教える側にいけるわけじゃないんだな。視野が広がりました」にうなづくしかない私だった。

かたや新しくない自分をかえりみれば、残り時間の短さと持っているものの少なさにとりわけ落ち込む。落差がものすごく、憂鬱の発生量も半端ない。

出会いと気づきの実りは大きいが、解像度が上がると自身の能力不足と蓄積の少なさをつきつけられる。きつい。消えてしまいたい思いにしばしば襲われる。戻せない時間の重み。自分でなんとかするしかない問題なのは重々承知しておりますが。

写真は、古参が買わずにいられなかったパスポートサイズの「ドルフィンホテル」ノート。