よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

西の友だち

京都話の続き。滞在時間は短かったが、在住の友人と再会できとても濃密だった。

携帯電話を持たず、PCも週に1、2回しかみないひとと待ち合わせする不安を人間は簡単に忘れてしまうけれど、よそ者で、悪天候、タクシーが来ず、現場に遅れそう、などという事態に陥ると、本当~につらい! のが瞬時によみがえる。そして、結局「会える」ことに毎度ながら感動する。

彼女とはスマート珈琲で落ち合うのが慣例だ。「出やすく」「アーケード内に存在する」大変助かる店で(コーヒーがおいしい、居心地がいい、などは基本条件として)先に着いたほうが並んで待つしきたり。小走りでたどり着くと、大きく手を振ってくれた。ひさしぶり~。

頻繁に手紙のやりとりをし、身の上話とあわせ「いま読んでいる本」を共有しあう。どちらも数を誇るタイプではない。彼女はそのときの「マイ(her?)ブーム」を掘り下げ、私は「私が読みそうな本」を読む(アホ)。なににしろ、法然院あたりの色づき始めた紅葉の下でチャンドラーの話などなかなかできることじゃない。出会いに感謝したい。

15年近く前か、mixiで始まった仲で、彼女はその後SNSなどやらない道を選んだわけだけれど「趣味の合うひとの日記を読んで、ときどき声をかけたりかけられたり」を愛するならそれで正解と思うし、ひとの嗅覚はあなどれない。都度、当人がやばみを感じたら消えればよく、その選択に誤りはほぼない(時間は前にしか進まないのでそう割り切るしかないともいえるが)。

既婚で子どもはおらず、現在は犬を飼っている。伴侶がちょっと驚く才人で(詳細をしらないていでつきあい続けている)wikiでうっかり彼女の夫をみつけたときは「ひゃ~!」であった。二足の草鞋が二足ともエルメス

友人本人からなれそめをきいた折にも「そんな与謝野鉄幹と晶子みたいな(不倫なしの)ストーリーが…!」とバカ面さげて声を出してしまったけれど(「まあそれはそうですね」とあっさり同意を得た)鉄幹でないほうの仕事もお国の誇る…いやいやいや。

「あれですか、やっぱりこう、寡黙で繊細な。学究の徒、みたいな(みたいなってレベルじゃないが)」と今回ことさら打ち解けて夫君の特徴をきいてみると「ぜんぜん! 朝から晩までテレビみてず~っとしゃべっててうるさい。そのくせ気にしいでしょっちゅういわなきゃよかったとかこう思われたかもとかうざい。内面はさておき、行動は軽薄きわまりない」とのこと。

おもしろい。そもそも友人の好きなタイプが「プレイボーイ」だったとの激白もおかしかった。プレイボーイって。

ことほどさように。リアルで何時間か話すと(相性がいい相手に限定されるけれど)理解度は破格に増す。深淵な悩みからくだらないトピックまでとめどなくおしゃべりを繰り広げたが、手紙でこのラリーは不可能、文字は意味を生みすぎてしまう(そこがいいところにせよ)。

当意即妙のやりとりに感無量となり、ときにげらげら笑い、センシティブな話題にも幅広く言及、吐露(この際とばかりに)。

性格が似ているのとは違うけれど、両者神経質で真面目で、物事を大きく重く受け取りがち。長女気質も相まって日々押しつぶされそう。彼女はこもりがちな暮らしが、私は根暗で想像力たくましい資質が、そうした傾向をより強固なものにしている。ましてこのコロナ禍(自分は精神状態の悪化と無職も重なった)。

親も自分も年を取り、万年不調気味。愚痴を挙げたらきりがない部分を吐き出せる心地よさと「現実には、距離もあってどうにもできない(いい意味で)関係」が掛け合わされ、非常に楽な「話しっぱなし」だった。

地下鉄で蹴上に向かうと雨、あがったかと哲学の道を歩くうち大雨。河原町で小雨。橋を渡り傘をたたむと、またパラパラ。空はそんな繰り返しだったが「ものともせず」しゃべり通す我々。

18時をすぎ「夕ご飯も、ぜひ」とありがたいお誘いをいただいたが、いろいろ満腹なのと、足のほうがそろそろ…てんで「いづうで鯖寿司買って帰ります。予約の電話をいれようかな」と立ち上がれば「だったらお店までご一緒して別れましょう。夫とそのまま居酒屋にいくので」彼女はやさしくいい、電話ボックスへ向かう(補足ですけど、ここまですべて「はんなりした関西弁」)。

電話ボックス! 「ずいぶん減った」と不満をもらしていたが、京都にはまだまだボックスが生き延びているのも発見だった。喫茶店を出てすぐに電話ボックスなんて映画のセットだ。みなさん自宅近くの電話ボックスを記憶されてますか? 私はしていない。

夫のかたはさすがに携帯電話をもっているそうだけれど、妻の意思を汲み(事情があるのだ。美学だけでなく)「どこかから」妻が連絡をしてくるのをただ家で待っているもよう。いい。個人の尊重に「しか」幸はない。

「夫の都合でいづうはときどきいただきますが、おいしいですよ~」「ふたりで飲み食いするのはそこらの安いお店だけども」みたいな話をしながら、愛くるしい犬の紙焼き写真(notスマホ画面)をみせてもらうなどして解散。

大充実。すっご~く楽しくて、かつ、ラクだった。思い返せば、距離を縮めたのはとある映画(ぜんぜんメジャーじゃないやつ)への感想由来。以降なにかへの反応(入れ込んだり猜疑心にまみれたり)がおもしろいほど重なってここまできたような気がする。

今回に絞っても膝打ちエピソードの数は両手でも足りないが、かける範囲でいうなら「自分は違うけれど、知る限り、誰より美しい心の持ち主はヅカファン」とか。その感度。ほんとに、ヅカヲタの気高く知的で親切なさまときたら。推しに恥じない自分であることが軸。という麗しい姿勢と暮らしには目がつぶれるよ(で終わりとは)。