よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

さよならダッフルコート

服をうまく処分できず「燃えるゴミ」にしてただ捨てている。

フリマサイトに出せばといわれるが「商談」「成立のお礼」「発送」などの対応を想像するだに腰が引けてしまって。

整理整頓は苦手。衣服を買うのが好き。愛する服への不義理とわかっていながら、ためにためた挙句→(どんなにきれいな状態でも)捨て、の繰り返し。

年末の大掃除ができず、いよいよ居心地悪くなり、先日大きなごみ袋3つ分の衣類を捨てた。そこに入れた1着のコートの話。

いまの若者は知らないかもしれないけれども「オールドイングランド」というブランドがあって、イングランドと名乗りつつフランスのメゾンで、商標には「Paris」まで入っているのだが、90年代ど真ん中のフランスかぶれだった私はここのダッフルコートが猛烈に欲しくて、エレガントなセレクトショップで触ってみては「現地で買うぞ」と決めていた。手軽で親切なECサイトなどない時代。

記憶に残るのは深っちゃんである。彼女は水色を着用し、とてもいい色で非常に似合っていたため憧れつつも、土台が違うし、自分は赤かベージュだなと思った。オールドイングランドに限らず巷では「ダッフルコートのモテ色は白!」とされていたが、個人的に興味なく(のち白はお松が着てさらにブレイク)どっちにしよ~かな~と手持ち服とあわせ落書きしてはにやにやするなど。

現地で買う、というのは、ドアマンに迎えられ、アテンドされ、目当てを示し試着、サイズや色違いと比べて、会計を済ませ、紙袋をもってタクシーを呼び、ホテルに帰るまで、を指す。燃える。楽しい。

映画館で映画をみるのも、特急列車の予約をするのも、パリからほかの国に足を延ばすのも、すべて現場で自分の口を使って「要件を伝え、選択し、場合によっては変更してもらう」(高級店で買い物をするときだけ、用心のためタクシー移動した。通常は徒歩かメトロ)術しかなかったころ。それが醍醐味だったころ。

緊張込みで、語学習得においてこのあたりがまず楽しい地点ともいえる。エリーゼのためにみたいな感じ? 現代はiPhoneが翻訳してくれるけどさ。その前にネット予約「のみ」だったりするけどさ。

さておき。オールドイングランドのパリ本店(画像参照。いまはもうない)はすばらしくかっこよく「ここに堂々と入りたい」が「買い物をする」大きな理由だった。

下にも置かぬ扱いをうけ、一番小さいサイズの赤とベージュ(どちらもグラデーション有)を着させてもらい、店内を歩き、自然光の下でも試したのち「とてもよい。マドモアゼルにぴったりです。真っ赤をすすめます」とワイン色のツインニット(当然オールドイングランドの。これまたそのころの保守派マストアイテム)を着たマダムにいわれ、自分も「だね」と確信。

黒髪、黒い瞳、メイクはせず赤い口紅のみ(バカを貫いてシャネルだった。いまはシャネルオンリーではないけれど、基本そのまま。いわゆる「スタイルを変えない中年」まっしぐらだ)。とくれば、まあ赤だろう。

その、思い出の。憧れぬいて大枚はたいて買ったダッフルコートを。幾たびかの転居にも負けず連れてきたダッフルコートを。手放すことにしたのは、ひとえに、ひとえに「やはりどうにも(それでも)大きいから」(あと単純に重い)。服飾入門・基礎の基礎になりますが、サイズ感。サイズ感大事よ~。結局ドゥファミリーのダッフルコートを毎日着てたもん、オールドイングランドを買ってからも。

でもなんだろ、今後一生着なくても、10年袖を通していなくても、古着のマントや毛皮のコート(コゼットが手を入れてるようなファーの筒? とかさ。ああいう小物ってつくづくスマホのなかった世界の遺物…と思う。清々しいほどiPhoneとの併用不可なんだもの)は手放せなくて。だからたぶん、それを着た日の気持ちや思い出も乗っかるのかもしれない。衣服には。

にしても。まだまだ捨てないとあかんで〜自分。