よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

モンパルナスの

念願の丸眼鏡を買った。

ド近眼しかわからない話で恐縮だが、眼鏡のデザインや流行、丸顔のあなたにはこれ! みたいな語りは、ガチの「近視」には通用しない。

おしゃれを愛しながら、私は眼鏡を装飾品として考えたことがない。いや、かけますよ。みえないんだから。キーボードとディスプレイを同時に認識できないし、靴の紐もブラウスのボタンもスーパーの棚もみえないし、家の鍵も開けられないんだから。

強度の視力矯正眼鏡はひどく疲れるため、驚かれつつも、できる限り裸眼で生活している。何駅か何番ホームか(東急線なら「漢字何文字(ひらがなカタカナまじり具合)」で判断)南口北口、会社のロッカーやATMの暗証番号など、すべて勘。経験値によって。

しらない分野(9割の事象)は眼鏡様様、空港なんてカッコつけてたらあの映画みたいになっちゃうし、壁のメニューをみに眼鏡をかけてよそさまのテーブルの間へ分け入り、フロアガイドの場所を探すためおもむろに着用などなど(本やスマホは年齢もびっくりの近距離で裸眼にて「可読」)。手間、ださい、つらい毎日である。

好みやファッションで関われない、それが私にとっての眼鏡だ。ゴロンゴロンいう厚さのレンズがフレームから出ない、軽いもの(レンズだけで重いから)で「日常装着に耐えうるデザイン」を苦労して探すも、かけた瞬間目がとびきり小さく、顔の輪郭がゆがみ内側に入る現実に絶望する(究極の圧縮をかけてもレンズの向こう側ははっきり縮小。虫眼鏡の逆ね)。そのくりかえし。

目を大きくみせる各種メイクスキルが日々刷新され、カラコン導入すら中学生に常識の世界で、何万円も払ってわざわざ小さくみせる機械を…。

無。無である。差し歯、ペースメーカー、人工透析などと同じく「生きるのに不可欠。感謝はしているがそれ以上望むべくもない」医療措置としてつきあってきた。来世は0.4程度の視力をキープし、死ぬまであれなしで暮らしたいよ。

そんな私の著しい誤認が、20年ほど前どこかの眼鏡屋でいわれた「レンズの厚いひとはフレームの上下幅が短いものを選ぶと悪影響が少ない」だった。信じ切り、ググることもせず1mmでも狭いものを選んだ。縦幅が狭いとバランスをとっていわゆるスクエアタイプになる。横長の眼鏡ばかりかけてきたのだ。

それが大間違い! 横幅があるほうが顔の輪郭がゆがんだり目が小さくみえるのに激しく加担すると先月しったのだ。つい先日よ。どんな手を講じても裸眼より目が小さくなるのは止められないが、少しでも錯覚やトリックを利用したかった私は「だまされた!」「自分のバカ!」とのたうちまわらんばかり。

イキって伊達メガネをかけた中学生のころからラウンドタイプを好んでいたのに、なんてこと…(バカっぽくて似合ったから。たいがいクールよりヌケてるほうが合うのよね。美やエレガンスよりユーモアやチャーミングに寄せる系)

いてもたってもいられず、「それでも目は小さくみえますよ」と忠告されながら、現時点で最高に薄くなる圧縮加工を施し(大課金)メーカー随一の小ぶりのラウンド眼鏡を購入。高かった…。でも。

好きなかたちの眼鏡をかけられる、だけでずいぶん気が晴れた。はっきり「コンタクトレンズのうえから試着したとき」より(裸眼だと眼鏡が似合ってんのかもわからんのよね「みえないから」)目は小さく、レンズの厚みで横顔に段差もつくけれど、前より断然マシ!!

今日がいちばん若い日。みたいな考えかたでいけば、気づけて本気でよかった。これからは丸眼鏡で、大橋歩さんみたいな、岡本敬子さんみたいな、明るいおしゃれを楽しむ加齢人生を歩むぞ。

丸眼鏡で初出社した日、女性編集者に「フジタみたい! 画家の。かわいい~」といわれた。フジタがかわいいかは異論もあろうが、自分は「大江健三郎…」と予測していたので(大江健三郎、大槻ケンジ、小沢健二、イニシャルKOの文豪たち♡ 大江のケンちゃんもぜんぜん悪くない)格上された気分すら。うれしい。

日常から嫌な要素を少量でも減らす。これが微力で弱気な中年一般女性の進む道(戦い)である。