よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

完璧な絵に似た

去年に続いて、今年も! 誕生祝いにTさんからパレスホテルのアフタヌーンティーをごちそうになった。11月のできごとですが。

ありがたいこっちゃ。言葉だけでうれしいのに、最高峰のアレじゃない?

前回も見惚れた皇居に隣するパレスの外観は質実剛健で、媚がない。変にアールきかせたり割り箸組み合わせたみたいな、ああいうのとは大違い。ホテル名の小ささにも名門の誇りを感じる。気品とは。

好みはそれぞれあれど、ここと帝国ホテルを虫唾が走るほど嫌なひとはいないのではないかと思う。なにしろ1階から最上階までが「ホテル」。いまどきの高級ホテルは途中までテナントが入っているなどよくわからない構造で(3年後どうなっているやら…)、客は直通でかなりの上階にいってチェックイン、みたいなスタイルが多く、古い人間(車寄せから白い手袋で案内&食事は断固サーブを希望など)にはちょっと。

パレスはその点(当たり前ながら)地続きで、入るなりとても広く明るく視界がひらけ(帝国の暗め展開もよいが)働くかたたちの笑顔、姿勢のよさ、はつらつとした発声など「一流」オーラがおしみなく出ている。本当に気持ちがいい。

この日は天候だけでなくお日柄もよろしかったようで、計3組の結婚式に遭遇。おじいちゃんおばあちゃん、学生時代からのお友だち、会社の上司や後輩、従妹に甥っ子姪っ子、しらないひとたちだけどみんなみんなおめでとう(婚姻まわりについては「やりたきゃなんでもやればいい」派の私。だからして! 性別出自でとやかくいわれ「できない」ひとが存在することも、するしないに他人が口出すことも、人権侵害と考えるわけですが)下見の若いカップルもちらほら出現、近頃お目にかかれぬ「未来」みたいなものにふれられた。未来…そんなもんが実際にあるのかはしりませんけれども。

当地では2か所でアフタヌーンティーを供していて、絵にかいたようなタワーのそれを皇居から日比谷まで一望できるフロアでいただく王道タイプと、ロビーフロアで石にみたてた漆の一点ものの(高級感半端ない)器の上、美術品のごとく並んだあれこれを目で楽しみつつ口に運ぶタイプ。去年は前者、今年は後者。どちらをチョイスするか心底悩んだ昨年が懐かしい。またこれるなんて。夢のようだ。ありがとう友人よ。

この日は「パレスとピアノの発表会(Tさんたらピアノも習い始めたのよ。正確には再開。何の進歩もない誰かと比べて…)に向けセットアップを作る! 生地はこれ~」)用にと仕立てた素敵なお召し物」の友に恥じぬよう「乙女美学校謝恩会でも着た」スーツ(ワンピースとジャケット型)で参加。親戚の結婚式で「かわいい~!!」と新妻に激しく褒められるなどいい思い出ばかりのお気に入りだが、これを買ったお店もとうに…

いや、凹んでる時間がもったいない。今日だけでもやさしくおだやかに。小さくて美しい食べ物たちを口にし、お茶を選んで味わい、楽しくおしゃべりしたあとは撮ったり撮られたり。すばらしいね、いいホテルは。たまにこういう場所へうんとおしゃれして出かけるってのはまさにハレ。9割が雨でもハレの日が待っていれば。

おかげで日比谷へ向かう道々も「大谷の犬のパーフェクトさ」をおおい讃えるなどして2人はごきげん!(異常な盛り上がりだった。他人の犬をああも。持てるひとは犬までもかと。欠けたることのなしと思えば。冷静に考えてもあのワンコ…色合い、黒く濡れた瞳、バランスのとれた体躯、おとなしくもやんちゃでもないふるまい、CGか!)(犬についての言及は人間を浄化するぜ)高いテンションのまま帰宅できた。

すばらしい日をサンキュー! 生きててよかったと思える時間がなによりの祝福だ。

あのひとが愛した

義妹と飯倉キャンティにいってきた。と慣れた感じを装ってみたが、たったの2度目。初回は今夏で「象の記憶」を読み、人生1回くらいおらもキャンティさいってみでえ…と思い。

私はギンガムチェックのクロスだけで1億点追加の人間なのだけれど、初回のカフェ部分にはクロスがなく、やっぱりレストランでなきゃ…つって再訪を決意(カフェも平日のド昼間からキャシー中島みたいな女性が「40年前より飲めなくなったよね~」とかいいつつワインがんがんあびてて痛快だったけど)。

遅れてごめんの9月生まれの義妹と11月に誕生した私の相互お祝いランチ、兼、明日から新しい職場に通う義妹の門出応援会、を当地にて開催する運びとなったのだ。

みてくださいよ、この赤いクロスのかわいさ! 実家にありそうな皿! 味もつくづく(いい意味で)「思い描いていた」まま。ワインを一杯ずついだたいて(良心価格)乾杯~おつかれ~。彼女が先月辞めた会社のあれこれをきく。

一方的な情報だから詳細は省くが(覚えてないし)衝撃だったのは「でね。まあこういう発言をするにはじゃっかん抵抗もあるんですけど、その陰険マンツーマン男、私(義妹)より背が低くて坊主だったんですよ。怖くないですか??」 え~~~~~~~~~~~~!

ないない、義妹より小さい成人男性って。よっぽど特殊な事情が。140cm台? なにかの病気かしら…気の毒…身長と人間の価値は無関係とはいえ。

「あの~おねえさん。繰り返しますけど、私、おねえさんより背高いんで。152cmですから」「ごめんね~、私は153cm!」キー! 盛ってないですか!150あるかないかでしょ、目線が明らかに下なんですけど! そらこっちのセリフ! という、世にもどうでもいいやりとりをしだして早20年。あまりにうるさいもんだからアナログの背比べをして「ん~…。おんなじおんなじ!(めんどくせ~)」と弟のジャッジが下り「もう黙れ」の空気をうんだ、まさにどんぐりな「チビ」同士の我々。よりちっさいって…あんた。

私が「ウーチャカだって153cmとかでしょ。140台はつらいだろうなあ一般人で」とつぶやけば「やだ、おねえさん、ウーチャカそんなにあると思ってます? ぜんぜんちっちゃいでしょあれは。じゃ岡村は?」「岡村は155cm(謎の断言)」「絶対ない!! ウーチャカも岡村も私より小さいです!」「んなわけッ」

どっちも誰もみたことないのに、だからこそか、この日一番のヒートアップトピックに。「ねえねえおねえさん、だったら郁弥は?」とかまできかれて(小柄有名人の引き出し多すぎだろ、義妹)「郁弥くんは162cm!」「きたポジティブシンキング~」とかなんとか。平和といえば平和、平たくいえばバカ、の会話を楽しんだしだい。

でもでも。暗い事件ばかりの世界で、年中求職中の女ふたりがひとときおいしい食事とお酒と愚にもつかないおしゃべりに興じたっていいじゃない!

信じられないことに義妹は職場でめちゃくちゃいじめられたのが初めてだそうで「おねえさんこれまでつらかったんだなって、やっとわかりました」などと微妙なマウンティングをかまされる始末…いや、理解していますよ。やさしさから出た言葉だってのは。

にしても。義妹と私は「うっかり人類選手権」でベスト(ワースト?)16入り確実レベルの同団体に所属する者、なめたがりに「みつけられて」なめられる人間とそうでない人間のラインはどこにひかれているのか。

身長に限らず「同じようなもん」だと思ってたけれども、考えてみればあっちは既婚&子持ち。女の大事業をやってのけているひととスルー&逃亡しっぱなしの人間は出る光線の色が違うのだろうか。それを察知する特殊能力が妖怪なめたがりには備わっているのだろうか。

昭和98年堂々再開!!

映える。映えるね~。

「昭和98年(マルチバースで令和5年)リニューアルオープン!」したホテル ニューアカオへいってきた。ハトヤと同類の「趣味」によるものだが、似ていそうでけっこう違った、熱海と伊東、アカオとハトヤ

母娘2人旅は本当にひさしぶりだ。母は数年前まで父の看病をし、10年近く前から本人も調子が悪く、旅行の予定が何度流れたかしれない。私が学生のころ以来、年に1回近場の海外に出かけきゃっきゃしていたのを思うと、本人がこの間、誰よりくやしかったろうと思う。

その「いろいろできなくなる」変化の容赦なさを目の当たりにし、自身もすべてにおいて「いけるときにいかないと」「来年は誰にもわからない」を学び。

遠くない場所へ(予約、調整、迷惑、などの比重が高いと心の調子が悪くなる病も彼女は得ているので)ゆっくり出発&早め帰宅で、さっといこうそうしよう、といいつつ年始のハトヤは母・骨折→手術→入院で頓挫したわけだけれども、コロナ禍や集合住宅の不具合(排水管の大工事。真冬、お湯の出ない部屋に骨折老人が数日…)を考慮すれば「別荘住まい」はまさにケガの功名、あれはあれで結果オーライと納得し。

このたび、2023年10月末。長く苦しく暑かった夏が去り唐突に深まる秋のなか、晴れて「こだま」で熱海を目指したのである。

町は予想を裏切るにぎわい。マルベル堂でブロマイド撮るとか浴衣にスニーカー的なリメンバー昭和のトレンドが…かどうかはしらないけれど「打ち捨てられイメージ」はなし。お昼ご飯を軽く食べたくてもどこも大行列で、ヤングに中高年、ファミリー、カップルとたいした人出だった(お寿司屋さんに並んでいたら、今日は玉三郎の公演日だと隣のご婦人が教えてくれた。きかなくてもシェア、が基本の中高年コミュ。悪くない)。

ささっと食べたあとは、駅周辺のロッカーがいっぱいのためホテルを目指し送迎バス乗り場へ。これまた集合時間前に満席で2台めチャーター、熱海のホットぶりときたら(熱い海だけに)。

お目当てのニューアカオは、想像通りレトロ好きをくすぐる意匠づくしで、部屋(オーシャンビューをこえてほぼ船室。遠い昔、両親と私で2週間ほど幾度か陸地にあがりながら、中国は長江の川下りに出かけたのを思い出した。衛生面にかなり難があったとみえ、お腹を下しバッタバッタと客が倒れる引き揚げ船ライクな旅路。若い家族時代にしかできないやつだったワ)に荷物をおき、ほっと一息。

せめて1箇所観光をと起雲閣へ向かう。文豪たちが愛した旧温泉宿は、太宰治三島由紀夫武田泰淳などそうそうたるメンバーが集ったそうで、洋館和館とりまぜて豪勢洒脱でぐるっと広くお庭も素敵。おおいに楽しみ、併設された喫茶室でお茶とクッキーをいただき、タクシーでホテルへ戻った。

ショップをひやかし、お土産の目星をつけて、レストランで軽いフレンチのコースディナーだ。大きな窓からは夜の海。赤ワインでご機嫌に、とかかきたいところだけれど疲労で半分意識が…。

なんとか胃におさめたのち(おいしかったです!)館内着に着替え、なにはなくとも温泉っしょと疲労困憊の母を残し大浴場へ。複数の趣向をこらしたお風呂…もったいないと思うけれど、体調第一、最優先!(この手の巨大観光旅館にありがちな「大浴場めっちゃ遠い」問題もあるので)。夜景をながめながら「いいお湯」を楽しませてもらった。こんなもんがバンバン沸いてくるなんて地球ってたいしたもんだねえ(静岡の磁場で、まる子口調に)。

翌朝は和食。そろって「おかゆ」と即答、お土産を買い、ぎりぎりまでのんびりして出発だ。

午後早い時間の新幹線のため、母希望の「アカオフォレスト」をひやかすくらいと出かけてみたものの、入場料がべらぼうに高く、山頂までいく話など「そこまではちょっと」っつって簡単に断念。ふもとのカフェでこじゃれたものをつまみ、駅でおにぎりや串刺しの厚揚げ(おいしいよねえ~ああいうの)などを買い、もぐもぐしながら40分。

あくせくせずお疲れMAXに至ることなく帰宅できてよかったよかった。楽しかった。

(とにかく母が転ばなかったこと。ね! 骨折に至った経験に加え、地域のひとから口酸っぱく「高齢者は転倒したら終わり」と忠告されてるもんで。親族にも転んで入院→ゆるやかに認知症、のひとがいるし。周りや本人が注意しても転ぶときは転ぶのだけれど…)。

大注目されているらしい熱海。どうせゆくなら「ニュー」アカオ、みなさんいかがッスか~。

「定番タイプは考えるのに向いてないのよ」

10/1(日)

なんとなくみない気がしていた「バービー」を結局鑑賞。TOHOシネマズ六本木ヒルズ、アガる2階部にて(流水エスカレーター、スペイシーな渡り廊下)。

「1日」が日曜日だったのとポッドキャスト(新書じゃないやつ)でさらに心つかまれたゆっきゅんの「バービーはみておくとして~」発言におされて、である。

マーゴット・ロビーの存在も大きい。先のウェス映画で美しさとうまさに感心した彼女が、バービー(適役)をやるだけでなく、制作に参加って。すばらしい。かっこいい。優れた女性にはバンバン出てきてほしい。たくさんいるのだから。表に、上に。

さて。グレタ・ガーウィック作品はいままで9割がたみて不満が残ることもなかったのだけれど、今作に関しては賭け、自分はハマれないかもな、の思いが消えずにいた。キラキラ画像とフェミニズムをティピカルに描きすぎていそうでなんだか…と(バービーは「こういう女の子ならすべて思いのまま♡」の象徴。美人でもナイスバディでもなくビキニにならずMBAもとらずバリキャリでなくBFもいないその他のガールズがいつまでどこまで自己投影できるかっつうと。を、ひっくり返すんだろうな。まで予想はできたが)

でも。よかった。なかなか腑に落ちる展開でした。

無敵のバービーは、リアル人間界で自分が少女に夢と希望を与える存在だけでないことをわりと早めに理解しショックを受ける。美しい眉をへの字にしつつ、持ち前の聡明さと感性の豊かさで「現実世界の女性にはばかる幾多の壁」「戦い」「成長」「獲得」をしり、もろもろ経て、自身も「手ごたえある<ナマの人生>を生きたい」と願い始める。

「持ち主」を探して西海岸を歩くバービーは、みるからに美しくスタイル抜群だけれど、疲れればうっすら隈ができ顔色も悪くなる。が。虚構の故郷でガールズナイトを夜ごと繰り広げていたときより立体で魅力的だ。

「あのこは貴族」同様、男性の生きづらさも描く。バービーランドでは、肌や髪、瞳の色などさまざまなグローバル対応のケンが生息しており「金髪白人筋肉ムキムキのケン」は「曖昧な彼氏」として生まれてこのかたバービーのお飾り。浜辺に佇む毎日(職業でも趣味でもなく「海とセットの設定」ゆえ)にもやもやし、人間界での「男様」の持ちあげられように大歓喜。ランドを「俺たちが輝く社会」に染め直すべく決意し実行する。だが、男らしさの「弱点」をつかれ…??

(このへんは決めつけ&雑なまとめ感も否めないけれど。権力、マンスプ、ヨイショされ、は、ほとんどの男性の大好物だが全員か…というと。で、アランよ。彼の存在が映画の良心とアップデートに一役買っているかっこう)

「曖昧な彼女」の称号は、バービーも何度も使う。「曖昧な彼女」「曖昧な妻」「曖昧な愛娘」…人間に置き換えりゃ下手すると「幸せよ~」とかいわれちゃう状況だけれど(おえ~)なにも感じず選ばずそこにいるだけで。って幸福か。楽しいか。

それぞれの待遇に「NO!」を下すバービーとケンだが、もちろん「リアル人間界の女性」がしんどさではぶっちぎりである。最大の盛り上がりポイント、サーシャの母グロリアのバービーランド(あらためケンダム)における叫びはまじで響く。

あれもこれも、あのときもいまも。美しく静かで賢く強気でなく、一人前に働きながら子どもを育て、いつもやさしく気をきかせ男をたてる、太るのも痩せすぎもだめ、身なりを整え目立つのはNG。「うるさいうるさいうるさい!!!」ってオカキョンまんがのセリフになかったっけか。

娘の、母に対する親愛の情が深まる様子もしみた。子どもがお母さんを慕うのは「こういう姿」をみてなんですよ! どっかのおっさんども!

難しい題材のため満点獲得はおそらく不可能、エンディングの示唆を理解できるひともなかなかいなさそうだけれど(自分にも難しかった)丁寧に作られたよい映画だと思う。放映後、若い女子2人の「ポリコレ疲れ系~」とかいう感想をきき、制作陣に届いたら…と勝手に凹んだが「了解、要改善!」とガッツポーズをとるかもしれない、この映画を世に出したひとたちならば。

VERYGOOD! MORNING!!

9/10(日)朝。

ブルーノートプレイス(いつのまにやらガーデンプレイスにそんなものが…)へ。近田春夫小泉今日子プレゼンツ「BAD! MORNINGCLUB」に参加するためだ。

7時開場8時スタート。たいした朝活である。タイトルでピンとくるひとは昭和生まれ確定、キョンキョンクノールのCM(朝ごはん、ちゃんと飲んでる?)をやっていたときのGOOD! MORNING or  BAD! MORNING ??(スープ飲まないと大変なことになるぞ的な)のキャッチコピーがソース(小泉さんいわく「川勝さんならそうするでしょ」)。ま~しゃれてる。

開演時間(中高年は6時前に目が覚めちゃうから)と、主催者のキャリア、場所もあるかなあ、平均年齢の高い、至極おちついた、ラフでかっこいいイベントだった。

私は(自慢めきますが)徒歩で8時到着。席には恵まれなかったけれど、トークタイムや好きな曲がきこえたらひゅっと通路に移動でき、初っ端大好きな「君はsunshine」がかかるなど、ご機嫌なスタート。なにしろ風と空気が心地よかった。同じ太陽なのに、西日は忌み嫌われ、愛される朝の光の不思議さよ(でもほんとぜんぜん違うよね)

おいしいごはんを食べながら(近田さん発案の「ドギードック」か、小泉さん発案の「キャットパンケーキ」。犬派肉派の私は前者をチョイス)加藤紀子さんや高木完さんの出店を流したり、大御所写真家伊島薫さんをおみかけし胸中勝手に「ご無事で…」と安堵したり、お客さんのなかにも有名人が多く気もそぞろである。

(肩先で川辺ヒロシさんと大変な美女が歓談しており、異次元の美貌、目を引く脚の長さ、「長澤まさみ???」と激しく反応するも、大都会のおしゃれなひとたちはまさみレベルでも声をあげず盗撮もしないわけ~。気取ってちらちらで遠慮したけれど、帰宅後検索して彼女がド近眼なことをつきとめ「間違いない!」と。かけた眼鏡を写真確認のときだけ外し目を細める、一連の0.1以下の視力しぐさ。キョンキョンと仲いいってご本人がどっかでいってたしな。アロハっぽいシャツにパンツ、きれいなひとのイキってない姿の輝き…ほかにパーソンズのジルさんがふらっとあらわれるなど、とにかく豪勢だった)

平場がそれだから。近田さんのプレイする「Fade Out」にあわせ目の端で踊るキョンキョン、太鼓をたたくasa-chang、グーな音楽を流し続ける川辺ヒロシさんの横でラフにたたずむ完さんなどなど…ステージは天国かと見まごうばかり。

もちろん誰より光っていたのは小泉さんだ。贔屓目じゃないぞ、501履いて軽やかに知人客人に声をかけ、笑顔をみせ、野菜を買い、軽く踊って、御自ら! たこ焼きをひととき作り(たこ焼き屋台は「みんな電力」さんのもの。SDGs!)限定無料でふるまい(隣のひとが教えてくれてすぐ並んだ)自由気ままに出たり入ったり。

かっこいい。おとな。遊び慣れている。余裕。かつ、親切。やさしい。

360度みわたすかぎり自分を好きで、目当てに集合されるっていったいどんな気持ちなのか、幸せなのか意外ときついのか。一般人の私(武道館とかアリーナでも毎回考えちゃう。余計なお世話100%ですが)からしたら想像もできない状況下にスターはいて、キョンキョンは人生の大半を「その状態が常態」ですごしている。なのに、なお奢らず新鮮で偉人としかいいようがない。憧れのひとが変になっていない幸運…(じ~ん)。

そ、し、て。

この日! 腰が抜けるような、驚き、喜び、茫然、の出来事に遭遇する私!! なのでしたが! 詳細は割愛~。ここまできてごめんだけど、充分浮かれ華やか具合は伝わったでしょう? ふふふ。

朝活などなんにもしてないしする気もないけど、早朝イベントはこれからの高齢化社会にうってつけなのでは?? と思いました。とかなんとかテキトーなこといっていきなりおしまい。失礼しました!

あの子この娘が大きくなって…

ウェス・アンダーソンの『アステロイド・シティがとてもよかった。

ウェスの映画はどこを切り取っても、こりゃウェスだ! とわかるガッチガチのおしゃれさで名をはせており、その唯一無二ぶりに誘蛾灯のごとくひとは引き寄せられるわけだけれど、作品ごとに合う合わないがけっこうわかれると思う。

私は『ダージリン急行』がとりわけ好きで、歴代いやなものはないが、ダージリンくらいの気持ちにさせてくれるものには以来出会えず。完成度や評判と趣味が比例しないことこそ個性、あるいは、老化による感性の摩耗、などと自身を納得させてきたのだけれど、このたびは肩を並べるほどハマってうれしかった。

ツイッターで「ダージリン急行とこれが心の一位を争う!」とかいう誰かさんの感想をみつけ、合点。チーム・スーツケース映画偏愛だ。スーツケースやばかったよね~。ウェス組、撤収後は小物どうしてんだろ。着払いでいただきたいんですけど!

さて。彼の映画には「並外れて優れた子どもの孤独」がよく描かれる。こまっしゃくれた子役ではなく、中途半端なナントカ王なんてのとは桁違いの。

今作でも「天才児合戦 in U.S.A.」みたいな大会(語彙…)がさびれた砂漠の町で行われる。ちょう頭のいい子どもがちょう頭のいい子どもと出会い(ひまつぶしのゲームがあれ)あくまでクールに、凡庸なおとなにゃ到底作れない発明品を発表しあい、大統領令によって強固に始まった「隔離」「隠ぺい」「人権(人命)無視」から人々を救う。頭がよすぎて幾分変わってはいるが、偏屈まではいかない子どもたち。これまではもっとほんと~に癖が強い子が出てきてたけれども。

ってもそれは「劇中劇」。お芝居。配役なの。

入れ子構造はウェスの得意技で、「雑誌」だったこともあるくらいだから「劇」なんて吞み込みやすいほうといえるがしかし)

定期的に原爆実験のきのこ雲がみえる、「強い国アメリカ」的には「護るに値しない」砂漠の僻地唯一の観光名物「隕石」が落ちた記念日にひとが集まるなかめっちゃキュートな(エブエブでも射抜かれたアナログの瞳が動く「目」力!」)丸腰の異星人が「未知との遭遇」スタイルであらわれて…さあどうするどうなる?? みたいなお話である(劇中劇が)。

劇のストーリーのみならず、舞台裏も、芝居をつくる脚本家のドキュメント(のテレビ放送、というてい)も、割合まっすぐ情にくる。めっちゃ高価で精巧~なデザインのカードを立て続けに切りたおして、え? え? 圧倒~みたいなこれまでと比べてどこかウェスっぽくなく、好悪のわかれるポイントかもしれない。叙情派の(笑)私の琴線にふれた所以も、おそらく。

「舞台裏」パートの、オーギーと亡き妻(役)とのバルコニー越しのやりとりにはぐっときた。16歳の娘と11歳の息子を残してこの世を去らなければならなかった友人が「できれば、いつか夫には新しいパートナーを得てほしい。悲しむ顔ばかり長い間みるのはいや」といっていたのを思い出して。

「劇中劇」でのミッジとオーギーとのモーテルの窓越しの対話ももちろん響いた。マリリンもこんなふうに、美しさと自分への期待の重さと生きづらさと仕事への愛情と誇りと透き通るようなセクシーさをときに持て余し、憂鬱な表情をみせただろう。元ネタ丸出しのたたずまいと、母として悩みつつも寸暇を惜しんで演技の練習に励み、バスタブに横たわる「世界がイメージする年齢相応のスカヨハ」の姿(二重三重の「名俳優」ぶり)。

いわゆる「家族万歳」をウェスは信じていないので、今作でも「喪失→再生」を安く謳ったりせず、やむなく密着暮らしをする羽目になった赤の他人(あるいは異星人)が、偏りはあっても基本みな善人で、お互いなんとなく助け合い、不器用なまま解散するさまが(舞台でも、舞台裏でも、脚本制作現場でも)バチバチにキマッたおしゃれ画で届けられる。

ママ(愛娘)の埋葬、宇宙人フェス、やる気ない子どもの歌声でスタートする謎ダンス、うっかりこの世をよきものと信じてしまうじゃないの、ウェス!

フライデーズでお茶しない?

8/11(金)エドワード・ヤン2本立て&名監督2名のトークショーが! てのをSNSでしり、やる気満々で座席をゲットした。最前列よ。

はるか昔、アラーキーの写真講座にてご本人から「あんた、一番前にこなきゃ!」といわれて以来、イベント的なものでは可能な限り前を陣取っているのだ。身長150cm台前半だし。

なにしろ濱口竜介監督と岨手由貴子監督の組み合わせである。「あのこは貴族」と「偶然と想像」は2021年のマイベスト、とともに、いまもちょっと体のどこかに「感じ」が残っているような映画。作ったひとをまとめて直近で拝めるなんつったら、それは(おふたりの対話も大変興味深い)。

とはいえ、じゃっかん悩んだのも事実。スターやアイドルではない。「なるべく近く」を望まんでも。六本木や日比谷に比べシャンテは古い映画館(好きだけど)、傾斜や椅子の作りで、前列は確実に首がやられる。ヴェーラやユーロスペースでも後方を選ぶ見下ろし嗜好の俺が。ヤンの長く暗い映画を無理な体勢で鑑賞するって。

ゆれた末、結局最前をポチったのは、以前「ホントのコイズミさん」に岨手監督がゲスト出演された折、内容もさることながら「話しかた」がめちゃくちゃ好みだったからだ(声質、スピード、間合い、一答の量)。あれをこの耳で、目で、そばでとらえたい欲が、どうにもおさえらず。

はたして、鑑賞に難はあれど(そりゃな)甲斐も特大だった。「百合子の緑」のようにご本人に意識があるかはしらないけれど、近距離の岨手監督はよくお召しの白で、可憐かつゆるぎないものを漂わせつつ「エドワード・ヤン監督は女性の解像度が非常に高い。やさしくおだやか、あるいは、こじれてわがまま、だけの女性は現実には存在しないから」「ひとのいやなところも不安定なところも撮るけれど、裁かない。その裁かなさがとてもいいなと」などの発言に「あのこは貴族」でも示された「どんな属性にもそれぞれの地獄が待つ」観がしみ込んでいた。

濱口監督もさすがのかっこよさで「最初は寝ちゃって」発言からの(イケてるひとのみに許される「1回目は寝ちゃったんですけど笑」しぐさ…)台湾で国立博物館レベルにおこなわれたエドワード・ヤン大回顧祭を「いまの日本には、いち監督をああしてとりあげる力がないので」とさらっと話すなど「担い手」感ばっちり。分析を知性とキャリアがいちいち支えていた。

作品内でフォンが突然みせる闇夜の側転を「あそこでぐっといっちゃうとかほんとに、うまい」つって両監督めっちゃ意気投合されるなど、そう! まさに!

眉目秀麗な女性が突如側転、したとたん偶然赤い閃光が。それをみて、送るだけのつもりの男に次の感情が生まれる。白い歯きらりや捨て犬にミルクみたいな、安~いどこかでみたやつじゃない、けど、実際はほとんどのひとが一生遭遇しないシーンではっとするのが人間で、そんな「場面」をいざというときもてるかもてないかが「もってるか否か」なのだ(いうまでもなく私は「もってない」ほうだけど)。

古今東西「エレベータのなかと外」を効果的に撮った映画は名作に決まっているが、本作もまじでそれが何度もでてきて「密室内のやりとり」も「乗ったときと降りたときの別世界」も「開いたと思ったら、え? あのひと??」みたいなのも全部盛りで、ことごとくキレキレ。秀逸なコメディでありつつヘビイでビターな、要するに「それぞれの地獄」モノの傑作さが「4K」でよみがえったかっこうだ。

あとシスターフッド! ね!

両監督ともその視点において優れた映画を何本も作っておられ、この場に招かれること、語るべき言葉を持つこと、そして、おそれながら私がふたりを贔屓するまでも包括して、むべなるかな、であった。

(余談だけれど、隣の女性ふたりが長丁場に備え、機内みたいに靴下とバレエシューズにかえて圧着レギンスを取り出しながら「やるねえ~」「大事なわけよ、こういうのが」と笑いあっていて素敵だった。ヤン、岨手、濱口、どのひとの映画に出てきてもおかしくないシーンじゃない? みたいな)