よくみえるってどういうこと?

あいかわらず誰の役にもたたないだろう日記

「定番タイプは考えるのに向いてないのよ」

10/1(日)

なんとなくみない気がしていた「バービー」を結局鑑賞。TOHOシネマズ六本木ヒルズ、アガる2階部にて(流水エスカレーター、スペイシーな渡り廊下)。

「1日」が日曜日だったのとポッドキャスト(新書じゃないやつ)でさらに心つかまれたゆっきゅんの「バービーはみておくとして~」発言におされて、である。

マーゴット・ロビーの存在も大きい。先のウェス映画で美しさとうまさに感心した彼女が、バービー(適役)をやるだけでなく、制作に参加って。すばらしい。かっこいい。優れた女性にはバンバン出てきてほしい。たくさんいるのだから。表に、上に。

さて。グレタ・ガーウィック作品はいままで9割がたみて不満が残ることもなかったのだけれど、今作に関しては賭け、自分はハマれないかもな、の思いが消えずにいた。キラキラ画像とフェミニズムをティピカルに描きすぎていそうでなんだか…と(バービーは「こういう女の子ならすべて思いのまま♡」の象徴。美人でもナイスバディでもなくビキニにならずMBAもとらずバリキャリでなくBFもいないその他のガールズがいつまでどこまで自己投影できるかっつうと。を、ひっくり返すんだろうな。まで予想はできたが)

でも。よかった。なかなか腑に落ちる展開でした。

無敵のバービーは、リアル人間界で自分が少女に夢と希望を与える存在だけでないことをわりと早めに理解しショックを受ける。美しい眉をへの字にしつつ、持ち前の聡明さと感性の豊かさで「現実世界の女性にはばかる幾多の壁」「戦い」「成長」「獲得」をしり、もろもろ経て、自身も「手ごたえある<ナマの人生>を生きたい」と願い始める。

「持ち主」を探して西海岸を歩くバービーは、みるからに美しくスタイル抜群だけれど、疲れればうっすら隈ができ顔色も悪くなる。が。虚構の故郷でガールズナイトを夜ごと繰り広げていたときより立体で魅力的だ。

「あのこは貴族」同様、男性の生きづらさも描く。バービーランドでは、肌や髪、瞳の色などさまざまなグローバル対応のケンが生息しており「金髪白人筋肉ムキムキのケン」は「曖昧な彼氏」として生まれてこのかたバービーのお飾り。浜辺に佇む毎日(職業でも趣味でもなく「海とセットの設定」ゆえ)にもやもやし、人間界での「男様」の持ちあげられように大歓喜。ランドを「俺たちが輝く社会」に染め直すべく決意し実行する。だが、男らしさの「弱点」をつかれ…??

(このへんは決めつけ&雑なまとめ感も否めないけれど。権力、マンスプ、ヨイショされ、は、ほとんどの男性の大好物だが全員か…というと。で、アランよ。彼の存在が映画の良心とアップデートに一役買っているかっこう)

「曖昧な彼女」の称号は、バービーも何度も使う。「曖昧な彼女」「曖昧な妻」「曖昧な愛娘」…人間に置き換えりゃ下手すると「幸せよ~」とかいわれちゃう状況だけれど(おえ~)なにも感じず選ばずそこにいるだけで。って幸福か。楽しいか。

それぞれの待遇に「NO!」を下すバービーとケンだが、もちろん「リアル人間界の女性」がしんどさではぶっちぎりである。最大の盛り上がりポイント、サーシャの母グロリアのバービーランド(あらためケンダム)における叫びはまじで響く。

あれもこれも、あのときもいまも。美しく静かで賢く強気でなく、一人前に働きながら子どもを育て、いつもやさしく気をきかせ男をたてる、太るのも痩せすぎもだめ、身なりを整え目立つのはNG。「うるさいうるさいうるさい!!!」ってオカキョンまんがのセリフになかったっけか。

娘の、母に対する親愛の情が深まる様子もしみた。子どもがお母さんを慕うのは「こういう姿」をみてなんですよ! どっかのおっさんども!

難しい題材のため満点獲得はおそらく不可能、エンディングの示唆を理解できるひともなかなかいなさそうだけれど(自分にも難しかった)丁寧に作られたよい映画だと思う。放映後、若い女子2人の「ポリコレ疲れ系~」とかいう感想をきき、制作陣に届いたら…と勝手に凹んだが「了解、要改善!」とガッツポーズをとるかもしれない、この映画を世に出したひとたちならば。